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安倍晋三13  2001-2002

新・英雄伝

 安倍は、小泉総理に対して、歓迎行事は一切断ること、昼食用にはおにぎりと水を持参すること、また写真を撮られる可能性があるから、絶対に金正日総書記に頭を下げないことなどを助言した。これらは、安倍がかつての家庭教師で警察庁出身の平沢勝栄議員から受けていたアドバイスであった。

 日朝首脳会談が始まる前に、北朝鮮側からリストが手渡された。そのリストには北朝鮮に入国したことを確認したとする拉致被害者の名が記されていたが、驚くべきことに、そのうち8人については死亡したとの記載がなされていた。小泉も安倍も全く想定していなかった事態だ。当然、この後行われた会談で小泉総理は8人の死亡について抗議し、説明を求めた。しかし、午前の会談では、金正日から具体的説明は何もなかった。そこで、昼休みに安倍は控室で小泉に対して「金正日委員長が拉致に対する国家的関与を認め、謝罪をしないのであれば、共同宣言への署名を考え直さなければならないと思います」と声に出して進言した。控室に盗聴器が仕掛けられていることを知った上での進言であった。すると、午後の首脳会談では、金正日が一転して拉致を認め、謝罪を行った。そして、日朝両政府の共同宣言で、国交正常化交渉の開始、その国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議すること、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題について、朝鮮民主主義人民共和国側は、このような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることなどが確認された。

 北朝鮮が拉致を認めて謝罪したのは、多くの国民にとって驚きであった。しかし、この時は驚きよりも悲しみで日本中が打ちひしがれた。北朝鮮から8名死亡と通知されたからである。日本中が涙したといっても、過言ではない。しかし、土井たか子議員率いる社民党は全く別であった。社民党は、金正日が拉致を認めた後も、数週間ホームページに「拉致事件が安企部(韓国安全企画部)の脚本、産経(新聞)の脚色によるデッチ上げ事件との疑惑が浮かび上がる。拉致疑惑事件は日本政府に北朝鮮への食糧援助をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」との文章を掲載していたのだ。

 土井らは以前から北朝鮮への支援を主張したり、辛光洙(シンガンス)の釈放を要求するなど、北朝鮮寄りであったが、このホームページはどうしたことか。安倍はこの後、容赦なく土井らを批判した。例えば10月19日、広島市での講演で「土井たか子と菅直人は、きわめて間抜けな議員なんです。社民党や民主党が、いかにも昔から拉致事件に取り組んでいるかのように小泉首相の決断を批判するのはおかしい。彼らはまず反省すべきだ」と言い放った。もっとも、この当時の民主党には、反北朝鮮の立場が鮮明な議員もいた。安倍はそうした議員から、「菅直人は釈放要求した時は社民連だったので、『民主党の菅直人』と言わないでくれ」と頼まれた。そこで以後、安倍は菅直人については、党名を付さないで批判するようになった。

コメント

  1. 並木橋 より:

    いつもながら、マスコミ報道の背後にある事実を知ること、知ろうとすることが大切と感じました。
    それにしても、岸田首相の派閥解散の発言には驚かされました。ネット上でもいろいろな意見が飛び交っているようですが、議論されること自体にも意味があると思います。