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安倍晋三13  2001-2002

新・英雄伝

 2001年7月に行われた参院選は、小泉人気が続く中で自民党の勝利となった。その勢いで小泉は社会保障制度改革に手を付けることにした。具体的には、年30兆円を超え、またその伸び率が国民所得の伸びを上回っている医療費について、保険料と患者負担率の引き上げ、更に診療報酬の引き下げを同時に行うことを企図した。難しい改革であるが、小泉はこれを患者、保険者、医療機関が負担を分かち合うという意味で「三方一両損」と称し、各方面に協力を呼び掛けた。これに対し、国民の負担を増やし、医師の収入を減らすような案では選挙に不利になると考える議員達、特に厚労族に分類される議員が猛烈に反対した。この調整を担ったのが安倍官房副長官である。安倍は反対派議員の事務所を訪れ、頭を下げて回りながら、厚労省と(1)サラリーマン層の患者負担を2割から3割に引き上げること(2)診療報酬を引き下げること(3)高齢者医療費伸び率に上限を設定することなどを内容とする試案を作り、与党との調整を進めた。この調整は難航したが、11月末に幹事長の山崎拓が3割負担の時期を「必要なとき」と玉虫色にする妥協案を示してひとまずの決着を見た。

 この間に、大事件が起こっている。2001年9月11日に米国で発生した同時多発テロだ。安倍は一報を聞いた日、当番というわけではなかったが、すぐに官邸に駆け付けた。森内閣時の「えひめ丸」事故の時の教訓であった。彼はしばらくこのテロ事件の対応にかかりきりになり、9月19日に発表することとなる「基本方針」と七項目の「当面の措置」のとりまとめ、また小泉首相の訪米プランの作成などに関わった。

 小泉首相はこの後、9月24日にニューヨーク入りし、テロの現場を視察するとともに、ニューヨーク州知事、ニューヨーク市長、国連事務総長と会談し、テロ対策撲滅に向けて協力していくことを確認し合った。そして、翌25日にはワシントンでブッシュ大統領と会談し、テロ対策を行う米軍等に対して、自衛隊を派遣して医療、輸送・補給等の支援活動を行うことなどを含む七項目の「当面の措置」の説明を行った。ブッシュはこの日本の措置を高く評価し、以後ブッシュと小泉の間は深い信頼関係と友情で結ばれることとなった。

 さて、テロの首謀者であるオサマ・ビンラディンがアフガニスタンに潜んでいることを突き止めた米国は、10月7日にアフガニスタンへの空爆を開始した。アフガニスタンを実効支配していたのはイスラム過激派のタリバンであるが、そのタリバンが倒され、アフガニスタンで暫定政権が発足したのは、12月22日である。その同じ日に、海上保安庁の巡視船「あまみ」に追跡されていた不審船が自爆するという事件が起こった。巡視船は東シナ海にいたこの不審船を北朝鮮の工作船である可能性が高いと判断して追跡していたのだが、不審船が逃走を試みて巡視船に対して銃撃を行った後に、逃げきれぬと判断して自爆したのだ。

 不審船が沈没したのが中国の排他的経済水域内だったこともあり、政府は当初この不審船の引き上げを明言しなかった。しかし、官房副長官の安倍や国交大臣の扇千景が引き上げを強硬に主張したため、後に中国政府と協議を行うことを決めた。安倍はこのタイミングで外務、法務、国交の副大臣による「拉致疑惑に関するプロジェクトチーム」を発足させることも併せて決めた。

 翌年の3月12日、安倍が拉致事件に関わるきっかけとなった有本恵子さんの件に関し、驚くべき事実が明らかになった。

コメント

  1. 並木橋 より:

    いつもながら、マスコミ報道の背後にある事実を知ること、知ろうとすることが大切と感じました。
    それにしても、岸田首相の派閥解散の発言には驚かされました。ネット上でもいろいろな意見が飛び交っているようですが、議論されること自体にも意味があると思います。