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新・英雄伝

ペリクレス12  BC445-BC443

BC445年、ペリクレスは五十歳の頃に離婚したようだ。四十歳の時に結婚した妻との間には、クサンティッポスとパラロスという二人の子がいた。クサンティッポスというのは、ペリクレスの父の名でもあるので紛らわしいことは間違いない。しかし、これはギリ...
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ペリクレス11  BC447-BC446

ケルソネソス半島に到着したペリクレスはおそらく現地の長老から、ケルソネソスの歴史、地理、産業などについて詳細な説明を聞き、そして農地や海岸線など様々な場所の視察を行ったと思われる。もしかすると、その中にペリクレスのライバルであるキモンの生家...
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ペリクレス10  BC450-BC447

21世紀の現在、学校で使われている社会科地図帳を見ると、キプロス島はキプロス共和国のものということになっている。しかし、実際には島の北部三分の一強はトルコが独立国家として承認し、トルコ系住民が大半を占める「北キプロス・トルコ共和国」が支配し...
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ペリクレス9  BC450

キモンがキプロスに向かった後のことと思われるが、ペリクレスが親しく付き合っている哲学者のアナクサゴラスが神々を冒涜する罪で告訴された。アナクサゴラスはかねてから、太陽に照らされれば地が温まることから、太陽は灼熱した石であると考えていたようだ...
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ペリクレス8  BC457-BC451

トルミデスについては、父親の名がトルマイオスと記されているものの、生年については分かっていない。ただ、活躍時期からすればミュロニデスやレオクラテスよりは若く、ペリクレスと同年齢か、或いは若干年上だったのではないかと推測するのが一番無難だ。そ...
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ペリクレス7  BC459-BC457

アテネはエジプトに兵を送った後、ペロポネソス半島の東方に位置する港町ハリエイスにも兵を送った。BC459年のことで、ここにアテネが兵を送った理由については、トゥキディデスも紀元前1世紀に歴史書を書いたディオドロスも全く触れていないが、おそら...
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ペリクレス6  BC461-BC460

このエフィアルテス暗殺の直後に、ペリクレスは初めて将軍職に就任したのではないかと推測される。彼の父クサンティッポスやテミストクレス、ミルティアデス、アリステイデス、キモンなどアテネの有力政治家が皆就任したポストだ。今一度書くが、形式上は9人...
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ペリクレス5  BC462

キモンの不在を狙ってエフィアルテスは政治改革に着手した。彼が具体的にターゲットにしたのはアレオパゴス評議会であった。アレオパゴス評議会は先に述べた通り、執政官経験者を構成員とする行政機関である。場所がアクロポリスの丘から見て西にあるアレオパ...
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ペリクレス4   BC471-BC462   

裏切りの容疑をかけられたテミストクレスは、自らの身を守るために逃亡を選択した。そしてテミストクレスが二度とアテネに戻る見込みがなくなると、政界では、キモンの存在感がますます高まった。おそらくペリクレスはこの頃に、政治に関わらなければならない...
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ペリクレス3  BC477-BC472

デロス同盟結成の経緯を説明するために、少し時点をさかのぼる。ギリシア連合軍は、BC480年に大軍で押し寄せて来たペルシア勢をサラミスやプラタイアで撃退し、更にエーゲ海を渡ってペルシア軍が拠点としていたミカーレやセストスを制圧した。しかし、そ...
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ペリクレス2   BC480-BC477

ペルシア軍は10年前とは大きく戦略を変えていた。まずは進路である。10年前のBC490年は海路でエウボイア島に押し寄せたが、今回は陸路と海路に分かれて進軍していた。主力となる陸上部隊は、ペルシアの本拠地から、小アジア(現在のトルコ)のサルデ...
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ペリクレス1   BC495-BC480

ペリクレスは紀元前(以下「BC」と表記)495年にアテネで生れた。今日ではアテネはギリシアの首都になっているが、この時代にギリシアという国は存在しない。同一の言葉(古ギリシア語)を話し、ゼウス、アポロンといった共通の神を信じる「ギリシア人」...
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安倍晋三16  2006-2007

総理に就任した安倍晋三は、9月29日に内閣に「拉致問題対策本部」を設置した。ちなみに、彼は自民党幹事長になってすぐ、党内に「拉致問題対策本部」を設置している。この辺りに、何としても拉致問題を解決せねばならぬという彼の信念が見受けられるが、と...
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安倍晋三15  2005-2006

2005年の年明けから中国各地で反日暴動が起こった。きっかけは日本の国連安保理常任理事国入りに反対する中国人の署名活動で、これが携帯メールなどで拡散するうちに、中国人の間で反日意識が高まり、4月になると暴徒が成都、北京、上海などで日系スーパ...
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安倍晋三14  2002-2005

2002年の終わりが近づくころ、イラクによる大量破壊兵器保有疑惑が国際的に大きな問題となって来た。11月に国連安全保障理事会が、イラクに無制限無条件で国連の査察に協力することを要求する決議を採択し、イラクのサダム・フセイン大統領はこれを受け...
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安倍晋三13  2001-2002

2001年4月26日に就任した小泉総理の所信表明演説は5月の連休明けに行われた。この演説において小泉は、 「構造改革なくして日本の再生と発展はないという信念のもとで、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、新世...
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安倍晋三12  1998-2001

1998年の夏の参議院選挙を前に自民党は社民党、新党さきがけ両党との閣外協力を解消した。離党していた議員が復党したことなどにより、自民党が単独で衆議院の過半数の議席を得ていたので、無理に思想信条の異なる政党と組むことはないと判断したのだろう...
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安倍晋三11  1997-1998

さて、1997年は安倍にとって大きな節目の年になったと書いた。一つは、先に触れた歴史教科書問題への関与であり、もう一つは、北朝鮮による拉致疑惑への取り組みである。この拉致問題については、まず、1997年2月3日に産経新聞が「『20年前、13...
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安倍晋三10  1996-1997

1996年の1月11日に村山内閣が総辞職した。前年の参議院選後に政権を河野に譲ろうとした時は慰留され留任した村山だが、その後、住宅金融専門会社(住専)がバブル期にかかえた不良債権の処理をめぐる問題や厚生省が新設を目指す介護保険について結論が...
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安倍晋三9  1994-1995 

細川総理は深夜の記者会見で、消費税に替えて税率7%の国民福祉税を創設すると発表した。まともな時間帯に理を説いて説明を行えば、また違った展開になったかもしれないが、この時細川総理は記者団から何故7%なのかと聞かれた時に「腰だめの数字」と答える...
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安倍晋三8  1993-1994

初当選の直後、安倍晋三は母、洋子の紹介で小沢一郎と面会することになった。自民党が分裂した状況で、洋子は息子のために、一方の勢力の旗頭である小沢の知遇を得ておくのが良いと考えたに違いない。一方、小沢は自らが自民党幹事長に就任する際に、安倍晋太...
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安倍晋三7  1991-1993

安倍晋三は父の49日法要を終えると、7月8日に次期総選挙への立候補を表明した。この時、あからさまに強調することはなかったが、彼は祖父の岸信介が成し遂げなかった自主憲法の制定を何としても実現させたいと思っていた。彼は政治家秘書として経験を積む...
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安倍晋三6  1989-1991

翌1989年の春、安倍晋太郎幹事長は体調を崩した。自覚症状は腹部の痛みで、知り合いの医師による診断と血液検査の結果、肝機能に問題があることが判明した。このため、晋太郎は医師の勧めに応じて、この年の4月19日に順天堂病院に入院したが、その6日...
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安倍晋三5  1987-1988

1987年11月6日、竹下登が総理の座についた。そして、安倍晋太郎は竹下の要請で自民党の幹事長に就任した。今回は総理の座を逃した晋太郎だが、次の最有力候補であることは自他ともに認めるところである。ちなみに、自民党の有力者が総理・総裁を目指す...
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安倍晋三4  1983-1987

父安倍晋太郎外相のもとで晋三は外相秘書官を約4年間務めたが、この間、世界を揺るがす大事件がいくつも起こった。まず、1983年9月1日 に、韓国の大韓航空機がソ連の軍用機によって撃墜され、乗員・乗客269人全員が死亡するという事件があった。ま...
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安倍晋三3  1977-1982

1977年3月に成蹊大学を卒業すると、安倍青年は渡米しカリフォルニア州ヘイワードにある語学学校に通った。ところが、そこは日本人が多く、英語の勉強にならないと判断した彼は、別の語学学校に通うべく、三か月後にロスアンゼルスの南約三十キロに位置す...
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安倍晋三2  1973-1976

1973年、安倍晋三は成蹊大学法学部に入学し、アーチェリー部に所属した。彼は安保条約をきちんと読みこんだのは大学生の時だと後に証言している。当然彼は、旧条約と新条約の違いを明確に理解した。すなわち、1951年に署名し、1952年に発効した旧...
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安倍晋三1  1954-1972

安倍晋三とペリクレスの間には、実に多くの共通点がみられる。彼らは、共に政治家一家に生まれ、民主主義のもとで長期政権を築き、疫病の大流行により退陣を余儀なくされた。この他にも、類似点は驚くほど多数あるが、その詳細は追い追い明らかにしていくとし...